突然ですが、アンパンマンの正義感は度を超えていると思いませんか?
私は、幼少期から彼の存在に怯え、いわゆる“ヤバいやつ”というレッテルを貼ってきました。
なぜなら、正義のためとはいえ自分の顔面をちぎって他者にお裾分けするなんて、幼き頃の私には恐怖でしかなかったのです。
数々のヒーローが存在する中で、そんな無茶なことをするのは、アンパンマンくらいではないでしょうか。
これは、完全に作者のやなせたかし氏の【自己犠牲】の世界観が表現されているのでしょうね。
「正義を貫き通すということは、綺麗ごとではない」という世界観です。
アンパンマンの正義感は絶対的で、ひるむことなくブチブチと顔面をちぎっては他者へ与え、自己犠牲をしていきます。
そして、それがきっかけとなり「力が出ない」と言っては倒れこみ、ジャムおじさんに新しい顔を焼いてもらいます。
自分が倒れてでも他者を助けること、つまり「正義とは、自己犠牲のうえに成り立つ」というストーリー・価値観なのだと私なりに勝手に解釈をしています。
ところがどっこい、アンパンマンはバイキンマンがいないと正義を最大限に発揮できません。
バイキンマンの存在がいなければ、途端に存在意義自体を失うことになります。
つまり、「素晴らしくない(バイキンマン)」がないと「素晴らしい(アンパンマン)」は消えてしまうことになります。
これは、じつに単純なことなのですが、一大事です。
なぜなら、私たちも「素晴らしい人生」や「素晴らしい私」を夢見ているにもかかわらず、
「素晴らしくない人生」や「素晴らしくない私」を知らないと、「素晴らしい」体験をすることができないからです。
医療や介護の業界に長くいると、彼(アンパンマン)と同じように自己犠牲をしている人をたくさん見てきました。
家族がいるのに休日出勤が常習化していたり、体調を崩しているのに残業が続いたり・・・。
そういう場合、職場環境に問題があることがほとんどなのですが、中には自分の承認欲求を満たすために自己犠牲をする人も少なくありません。
たとえば、残業をしていると周囲から「いつも頑張っているね」と言われます。
私たちは、仕事でも勉強でも「あなたって、なんて素晴らしいの‼」と言ってもらうために頑張っているようのものです。
しかし、もし仮に残業がなくなり職場環境が改善してしまったら、自分の存在価値が見いだせなくなってしまいます。褒めてもらえない自分には価値がないように思えて、とてもつらくなります。
だからこそ、環境の変化を嫌い、現状維持を好む人たちが一定数は存在します。
精神的に弱っている人ほど、承認欲求が強くなりますね。
そんなときに、「あなたはあなたのままでいいよ」だとか、「あなたは、素晴らしい存在だよ」というような自己啓発セミナーがあったりするとついつい参加してしまいます。
「ワクワク」とか「ポジティブ」などというキーワードも同じですね。
一瞬だけ、私たちを気持ちよくしてくれます。
そして、「私は、あの人よりすごい」と思えた方が楽しいし、優越感に浸れます。
「誰か」や「何か」と比較することによって、世界や人生の面白さが分かります。
「こんな楽しい集まりに参加している私って、イケてる‼」みたいな感覚ですね。
でも、前述の通り、素晴らしい自分を知るためには、素晴らしくない自分を受け入れることになります。
幸せを感じるためには、幸せじゃない自分を受け入れることになります。
無傷のまま、成長することなど出来ないのです。
それは組織改革でも全く同じことが言えます。
素晴らしい組織を構築するためには、素晴らしくない現状から絶対に目を背けてはいけません。
傷口から血が流れているのに、「これは赤い絵具です」と現実から逃げてはいけません。
とても大事なことなので、最後にもう一度言います。
無傷のまま成長することなど、あり得ません。
大人になった今、アンパンマンやバイキンマンの生き方が組織マネジメントに生かせる場面が多々あることに気づきました。
私は、個人的にはバイキンマンをリスペクトしているので(他者への意地悪は許せないけど)、
またいつかどこかでコラムにできたらと思っています。