安定な不幸せと、不安定な幸せ

皆さんにとって、幸せとは一体なんでしょうか。
「自分の幸せ」を定義化されている方はいますか?

ちなみに、私にとって幸せの定義は「自分がやりたい時に、やりたいことをやれる能力・環境があること」と定義しています。
これは、人によって価値観がバラバラですので、正解不正解はありません。

私は、仕事柄、様々な経営者と出会う機会が多くあります。
自分がやりたいことを実現するために起業された方ばかりですが、残念なことに心身ともに疲れ切ってしまっている方に出会うことも少なくありません。

せっかく自分の夢や目標を実現するために、起業という手段を選択されたにもかかわらず、
とても豊かな人生を送っているとは思えません。
一体、何のために起業したのか、疑問に思うことも少なからずあります。

・お金を稼ぐことが幸せ
・家族との時間が持てることが幸せ
・自分の趣味や自己研鑽の時間が幸せ
などなど、人によって幸せの定義は様々です。
その中で、「今、目の前で起こっている出来事を、幸せと思えるかどうか」はすごく重要だと思っています。

例えば、雨が降った日に「雨が降ったから、○○できない」と感じるか「雨が降ったから、○○できる」と思うかどうか。
雨が降ったという事象は変わらないのに、気持の捉え方が180度違います。
これを心理学用語で「リフレーミング」と言います。しかし、これはあくまでもテクニックでしかないので、根本解決にはいたりません。
そう思うと、実は様々なシュチュエーションで幸せを見過ごしている可能性があるかもしれませんね。

私の周りでは「仕事で成功を掴みたい」とおっしゃる方も少なくありません。
しかし、目の前にたくさんチャンスがあるにもかかわらず、一生懸命に言い訳をして取り掛かろうとしません。

「やったことないから」や「最近、忙しくて」など、出来ない理由を探してしまいがちで、結果的に、夢を語っているその一瞬が、何よりも気持ち良く、妄想している瞬間こそが幸せということになってしまいがちです。

では、なぜ彼らが行動できないのか。
それは、傷つきたくないという自分のエゴが邪魔をするのかもしれません。
「やってみたいけど、もし失敗したらどうしよう。」
こんなことが脳裏をよぎるのではないでしょうか。
あるいは、「自分には、この仕事は向いていないのではないか」などど、勝手に自分の可能性を狭めている人もいるかもしれません。

このように、自分が傷つくことを恐れて大切な一歩を踏み出せない人がいます。
そういう人は、明らかに自己肯定感が低い傾向にあります。
仕事で失敗した場合や物事がうまく進まないと、「自分には価値がない」と思ってしまいます。
なので、「傷付くくらいなら、行動しない」という選択をします。
一方、自己肯定感が高い人は、仮に仕事で失敗した場合であっても「自分の存在価値とは、別問題」ときちんと分離することができます。

仮に(誰かと比較して)お金を稼げていなくも、自己肯定感が高い人はそれでも自らの幸せを見出すことができます。

自己肯定感が高い人は、豊かな人生を歩むことができるのではないでしょうか。
そのためには、いつでもどんな時でも、自分の存在価値を認めることが、はじめの一歩です。


『安定な不幸せ』『不安定な幸せ』があれば、あなたはどちらの人生を歩みますか?
いつだって、選択権はあなた自身の手中にあるのです。